中学生の私からお母さんへ
私は中学に入って吹奏楽部に入りました。
毎年顧問が変わって色々な先生がいるんだな、良いところまで連れていく顧問ってこんな人なんだなと勉強になりました。
中1の時の顧問は怖かったです。
怖かったけど指導は面白くて、その年のコンクールでは金賞を取らせてくれました。
とにかく厳しくて一緒に入った同級生は泣かされてました。
でも卒業するときその子は「中1の時の顧問が一番好きだ」と言っていました。
中2の時は優しいのに私たちを上手くしてくれる顧問でした。
私は優しいのに生徒の技術を上げる先生はよほど生徒に尊敬されていないと無理だと思いました。
ちなみにこう思ったのは高校生の時で、当時はそんなこと考えもしませんでした(笑)
中3の時は優しいけど結果は銀賞でした。
指導って本当に難しい。
部活以外の学校生活ではそれなりに順調に仲の良い友達ができました。
勉強もまあまあできてとにかく部活ばかりしていました。
今は週に〇回休みがいるとかありますが当時はなかったので土日もどっちも部活をしていました。
中2の時にお母さんと1回大喧嘩をしました。
その内容は...
当時、私は Mrs. GREEN APPLEにハマりました。
もうずっと聞いていて、授業中に歌詞をノートに書くくらい(笑)
それにハマるきっかけになった友人がいて、その子にライブに誘われたんです。
でも私が住んでいた場所はド田舎で、
そんなド田舎の中学2年生の女の子が2人だけで都会のライブに行きたいなんて言い出したらそりゃあ親は心配するわけです。
でも当時の私は反抗期まではいかないけれどちょっとだけ反抗的な態度でした。
ここで問題になるのが友人のお母さんはその友人に、「1人じゃなくて2人なら行ってもいいよいいよ」と言っていたことでした。
うちの母は子どもだけでそんな都会に行くなんて危ない派
相手のお母さんは2人ならいいよ派
このことを相手の子に伝えると「おかしいよ」と言われました。「過保護すぎる」と。
うちの母に相手のお母さんの意見を伝えると「それはおかしい」と言われました。
「うちはダメ」と。
この母の「それはおかしい」というのは相手のお母さんを悪く言っていたものでした。
当時、私はなぜかとても純粋になっていて、母に「相手のお母さんのこと悪く言わないで」と泣きながら言ったことを覚えています。
すると母は「そうだよね、ごめんね」と言ってくれました。
当時は言えなかったけど、私こそ本当に心配から出た言葉だったのだろうにお母さんの気持ちをわかってあげられなくてごめんね。
親がたくさん悩んで育児に、私たちに向き合ってくれていることはいつかわかるようになります。
だから今育児が大変な中、お子さんと向き合おうとしているお母さん、お父さんに知ってほしいんです。
その気持ちを受け取れる日がちゃんと来ること。
時間は少しかかるかもしれないけれどいつか届くから。
今は自分の気持ちばかり押し付けてしまってごめんね。
いつかもう少し今よりも大人になったらわかると思う。
ちなみに今も Mrs. GREEN APPLE は好きでよく聞きます。
良かったら聞いてみてください ♪